ヌキガキ

噂の公式

メディア研究では古典的なものらしいのですが、 『わたし立ち消費』を読んでいたら出てきていまさら知ったのでメモ。 R∝i*a 流言の流布量(Rumor)は、当事者における主題の重要さ(Importance)と、問題の主題に関する証拠のあいまいさ(Ambiguity)との積…

「正しい行動をなすにはコンテクストを理解せよ」

前にも述べたが、ここで必要なのはシステムズ・アプローチだ。誰が競争相手で何をしているのかだけではなく、業界全体がどう競争し、また、どう協力し合って発展しているのかを理解することだ。 複数の種がともに進化していくという共進化の概念を用いると、…

「みんなで化粧」

日経新聞に月1回付録されてくる「THE NIKKEI MAGAZINE」の7月号に 石鍋仁美編集委員の「『みんなで化粧』の構造変化」という記事が載っていました。 かつて化粧の動機は「たしなみ」から「モテるため」まで、義務の色が濃かった。だからこそ、化粧や髪のセッ…

選挙演説会のPDCA(『絶対の宣伝』)

(註:1930年9月の総選挙において)二千三百名余の党弁士が各地へ飛びまわった。党の弁士は、演説後、つぎのようなアンケートに答える義務があったことを、プリダムは伝えている。 集会の準備はどうだったか。 聴衆はどのように集められたか――ポスターによっ…

スローガン/演説(『絶対の宣伝』)

読んでいるうちに、2005年の「郵政解散」後の総選挙のことを思い出しました。 ヒットラーは、『わが闘争』の中で、こんな風に言っている。 宣伝は、語るべき思想を少数にとどめて、それをうまずたゆまず繰返すことが必要である。大衆は、何百ぺんとなく繰返…

『絶対の宣伝』

以前から気になっていた本ですが、古本で買おうにも4巻揃いで3〜4万円するので、 中身を見てからと思い、会社でバイトしている学生に図書館で借りてきてもらいました。 草森紳一『絶対の宣伝』(1978〜79年、番町書房)はナチスのプロパガンダを扱った本。 …

『nu』(vol.02)から

早速読み出した『nu』ですが、とてもおもしろい。 「80年代と90年代」の関係が「60年代と70年代」の関係に似ていると語るなど、 対談している二人が自分たちの世代意識について語っていておもしろいです。 そのなかからインターネットのもたらした変化につい…

「齟齬感と違和感と隔たりの意識」

社会には、あるいは、むしろこの世界にはというべきでしょうが、相対的な聡明さによる対象の把握能力だけでは対応しかねる不自然な事態に充ちあふれております。不意にそうした事態との遭遇を余儀なくされるとき、人は持ち合わせの知性だけでは対処しがたい…

世界報道写真展2008

先日の話になりますが、 日曜日に恵比寿・写真美術館で開催中の世界報道写真展を観てきました。前年の報道写真の優れたものを選ぶコンテストにて秀作とされた作品の展示。 昨年に引き続き、「世界で起きていること」を目にするために見に行きました。 冒頭の…

「量が多いから売れるだろうという幻想」

最新号の『宣伝会議』の巻頭特集は「無気力消費者に効く広告」。 話題になった『下流社会』の著者・三浦展氏の発言に納得。 戦後の団塊世代以来、量が多いから売れるだろうという幻想がいまだにある。人口が多いからと団塊ジュニアを狙うのではなく、そこに…

「コミュニケーション戦略」

業界誌、というか業界団体誌、ということになってしまうのでしょうが、 JAAA(社団法人日本広告業協会)の発行している『JAAA REPORTS』の臨時増刊号 「第37回 懸賞論文 入賞・入選作品集」を読んでいたのですが、 銅賞の博報堂・伊藤耕太氏の論文「世の中を…

「事実を加工する作業」

再度、森達也の著書からヌキガキ。 改めて言う。編集は事実を加工する作業なのだ。そもそもの素材は事実でも、カメラが任意のフレームで切り取ることで撮影者の主観の産物となった現実は、更に編集作業を経て、新たな作為を二重三重に刻印される。それがドキ…

「モザイク」

ここのところ森達也の著作を続けて読んでいるのですが、 「メディア」というもののあり方や、そしてそれを考えるうえで見ざるをえない 「メディアの力・危なさ」について森はとても意識的で、重要な作家です。 久々のヌキガキはオウムを撮ったドキュメンタリ…

「少し多く繰り返す」

先週末に読んでいた『現代思想のパフォーマンス』という書物は、 現代思想に大きな足跡を残した6人の思想家の思考に触れ、その思考をいかにツールとして使うか、 というプラグマティックなものでした。 ジャック・ラカンの部分はやっぱり難しかったものの、…

「詞」と「辞」

最近読んだ東浩紀の本で、彼が時枝誠記という言語学者の仕事を紹介しているのですが、 それが非常におもしろかったので、忘れないようにヌキガキ。 時枝の何が面白いのか。彼の仕事で最も重要なものは、これは学校文法に入っていないので一般には知られてい…

「インターネット的なものへの欲望」

昨夏の自分の備忘録からヌキガキ。 「噂」という忘れられた社会現象が八〇年代の終わりに浮上したのは、それが次にやってくるコミュニケーションのいわば予兆であったからではないかと今のぼくは感じている。混線電話という八〇年代末の電話習俗も同様で、そ…

「趣味の共同体」

ちょっとしたことで、社内のメールのやりとりで、 東浩紀の言う「郵便的不安」という言葉を引用したことがきっかけで、 あらためて彼の『郵便的不安たち#』を読み返しています。 下のヌキガキ箇所は、この評論の話の流れからすると傍流だし、 なにしろ10年…

瀧本幹也氏の現状認識

ちょっと遅くなってしまいましたが雑誌『Invitation』の3月号の特集は、 「『広告写真』の現在2007-2008 セレブリティ×フォトグラフィ×広告」。 日本の広告写真分野の若き気鋭、瀧本幹也氏のインタビューが掲載されていましたが、 広告写真の過去・現在を非…

ブックデザイナーの祖父江さん

もう先週の日曜のことですが、 TBS『情熱大陸』にブックデザインを手掛ける祖父江慎さんが出ていました。 しりあがり寿が好きだったので、 祖父江さんのことはそのルートを辿って知るようになったのですが、 その彼が印象的なことを言っていました。ざっくり…

『合コンの社会学』

最近、書店で目立つところにディスプレイされている『合コンの社会学』。 ものの2〜3時間でサラッと読めてしまいますが、面白い本でした。 著者は「合コン」というものを、一方で、恋愛結婚こそが幸福だとする 「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」に支配…

「失言」とは何か

女性歌手がラジオ番組で不用意なことを発言し、大きく問題となっていますが、 少し前に読んだ本に「失言」についての記述がありました。ヌキガキ。 失言は人の心に響く。失言を繰り返す政治家は、なぜか人の心に残る、といわれる。その理由は、失言というこ…

<私>というものの不思議さ

本日のバスタイムは、新刊の『欲望する脳』が好調な茂木健一郎氏の数年前の著書 『意識とはなにか』を読み始めました。 まだ前半を読んだ程度ですが、感覚と自我の結び付きなど、非常に示唆に富みます。 私たちの心の中で<あるもの>が<あるもの>としてあ…

TransportationとCommunication

土曜日の昼間、一気に本を10冊ばかり大人買いしたのですが、 土日の両日とも仕事でなかなか読書できず、ただ全く読まないのもいやなので、 この時間まで入浴しながら読書して、一冊読み終えました。 読んでいたの集英社新書の新刊『ハプスブルク帝国の情報メ…

プロモーションや認知広告の及ぼす効果

半年ほど前に読んだ小説から。 茶道の流派として隆盛を極めている筆頭といったら裏千家ですが、 明治末期から大正にかけての時期、ひどく裏千家は廃れていたとか。 それは、東京遷都で皇族・公家のほとんどが京都を離れてしまったこと、 大きな報酬と引換え…

「世間体」について

本を読む際、「あとがき」を真っ先に読むのが私の読み方なんですが、 これから読もうとしている本の「あとがき」、 とてもよくまとまっていた部分があったので「ヌキガキ」しておきます。 「世間体」とは、「世間」に準拠して体面・体裁をつくろい、恥ずかし…

「音の地図」

私が地図というものに心惹かれてしまうのは、 それが作り手(あるいは見る者)が世界を把握する手段としたもので、 ということは極めて精神的な活動の産物だと思うからです。 であれば、世界の把握の表現というものは、 道順や物理的な距離というものだけに…

「言葉にならない」ではなくて。

コトバは普段使うものだからこそ、気を遣って使わないと、 図らずも、同じ表現を使い回してしまったりといったようになる。 使い回すことが問題なのではなくて、 本当にそれがいま使うのに適したコトバなのか、、 そして内容を的確に表しているのか、 フレー…

「モノの破壊」

自分のかつての備忘録からヌキガキ。 消費社会が存在するためにはモノが必要である。もっと正確にいえば、モノの破壊が必要である。 モノの『使用』はその緩慢な消耗を招くだけだが、急激な消耗において創造される価値ははるかに大きなものとなる。それゆえ…

雨降りの日の感覚

寒々と雨の降っていた連休初日の昨日、 ちょうど読んでいた小説に雨降りの日の感覚についての記述があったのでヌキガキ。音とともに倉沢が雨で好きなことにもうひとつ匂いがあった。雨の日にはふだんは眠りこんでいる原始的な感覚のいくつかが甦ってくるよう…

まばたきのシャッター機能。「空」のこと。

松の内がまだ明けぬうちに、近親者に不幸があったため、 ここ数日、更新をしないままでおりました。 その間に思ったことの一部を、 とりとめがないままですが、覚書として書いておこうと思います。 『日蝕』(1998年、翌年芥川賞受賞)で華々しく文壇に現れ…