「少し多く繰り返す」

先週末に読んでいた『現代思想のパフォーマンス』という書物は、
現代思想に大きな足跡を残した6人の思想家の思考に触れ、その思考をいかにツールとして使うか、
というプラグマティックなものでした。
ジャック・ラカンの部分はやっぱり難しかったものの、非常に良い書籍だと思いました。


さて、下記の部分はレヴィ=ストロースの人類学をもとにコミュニケーションの本質をつく一節。
外国語を初めて習うときの例文は、「お元気ですか?」「はい、元気です、あなたは?」みたいな
ものと決まっていますが、それはコミュニケーションの本質なのでは、と著者は述べます。


…「同じことばを繰り返す終わりなき挨拶」という不条理な予感は、じつはコミュニケーションの本質を正しく直感しているのである。というのは、コミュニケーションの本義は、有用な情報を交換することにあるのではなく、メッセージの交換を成立させることによって「ここにはコミュニケーションをなしうる二人の人間が向き合って共存している」という事実を確認し合うことにあるからだ。そして、わたしの前にいる人に対して、「わたしはあなたの言葉を聞き取った」と知らせるもっとも確実な方法は相手のことばをもう一度繰り返してみせることなのである。だとすれば、真にコミュニケーションを求め合っている二人の人間のあいだでは、相手のことばを繰り返しながらほとんど無意味な挨拶が終わることなく行き交うことになるはずである。


難波江和英・内田樹現代思想のパフォーマンス』(2004年、原著は2000年、傍点部分を引用時に太字で表記).

これを読むと、ケータイメールの絶えないやりとりとかも説明がつきそうですね。
それに先立つ部分も示唆に富みます。


祝福はそれを受けた側に返礼をしなければならないという負債感を発生させる。この負債感は「受け取った以上のものを返礼し、相手に新たな返礼義務を課す」ことによってしか解消されえない。しかし、受け取ったのと同じだけ返して中立化を達成することは原理的には不可能である。というのも、「最初に贈る」ということは、いわば「無からの創造」であり、純粋なイニシアティブだからである。贈与の回路を立ち上げるということは、等量の返礼を返すことによっては決して埋め合わせできないほどに生成的で冒険的な創造なのである。


同書.

今日は「少し多く返す」を行った男性諸氏の方々も多かったはずです。

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

現代思想のパフォーマンス (光文社新書)