「インターネット的なものへの欲望」

昨夏の自分の備忘録からヌキガキ。


「噂」という忘れられた社会現象が八〇年代の終わりに浮上したのは、それが次にやってくるコミュニケーションのいわば予兆であったからではないかと今のぼくは感じている。混線電話という八〇年代末の電話習俗も同様で、それは全てインターネット的なものへの欲望が、人々がそんなものの存在さえ知らなかった時点であらかじめ用意されていたことを意味する。それはマスでしかなかったメディアを私的なものに組み替えていこうとする欲望であり、誰もが情報の発信者たり得たいという欲望でもある。

(略)

『物語消費論』がかつて問題としたのはそのような「インターネット的欲望」に先行して成立していた特定の環境下で人はいかに自らの情報=物語を形成するかについてである。その仕組みをぼくは「物語消費」と本書で呼んでいる。「物語消費」とはただ、モノに替わってそれに付加された物語が商品の価値として取って替わるという事態のみを意味するのではない。送り手からもたらされる断片的な情報を想像力をもって接ぎ木し、更には「世界観」という枠組みの中で限定的に「物語」を紡ぎ出すという新しい消費の形式をぼくは「ビックリマン」や「コミケ」といった八〇年代末の現像から抽出し、消費モデルとして示した。それは受け手の中に芽生えた、送り手になりたいという新たな欲望を利用し、そのような欲望に向けていかなる形態の商品が情報を発信すればいいのかという「大衆操作術」であったのだ。


大塚英志 「文庫版あとがき」(2001年) 『定本物語消費論』 所収.
(註:引用文中の太字部分は引用者による強調)

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)