「言葉にならない」ではなくて。

コトバは普段使うものだからこそ、気を遣って使わないと、
図らずも、同じ表現を使い回してしまったりといったようになる。


使い回すことが問題なのではなくて、
本当にそれがいま使うのに適したコトバなのか、、
そして内容を的確に表しているのか、
フレーズを使い回すときには考えていない点が問題。


読み返した古い雑誌の対談からヌキガキ。


俺は、日本語が時代とともに変化していくこと自体はいいと思うけれど、歌詞を書くミュージシャン個人として、なにを肯定してなにを否定するかに意識的になってほしい。確固たる信念を歌詞に打ち出してほしい。単なるデタラメと、なんだかわからないけどちゃんと表現になっているものとは、どこかで絶対線引きできるはずだから。
「言葉にならない熱い想い〜」なんてテキトウなことを言って「熱い」ふりをするんじゃなくて、その「熱い想い」をどうやって「言葉にするか」こそを突き詰めてほしいわけよ。


近田春夫×いとうせいこう対談「俺たちだって、騙してよ――Jポップな日本語、その意味は?」
(『ユリイカ』2003年6月号所収)から、近田の発言

もちろんこれは、Jポップにおける歌詞の問題だけにはとどまらず、
広告にも、文学にも適用できる指摘だと思います。