<私>というものの不思議さ

本日のバスタイムは、新刊の『欲望する脳』が好調な茂木健一郎氏の数年前の著書
『意識とはなにか』を読み始めました。


まだ前半を読んだ程度ですが、感覚と自我の結び付きなど、非常に示唆に富みます。


私たちの心の中で<あるもの>が<あるもの>としてあることの不思議さは、心の中で一つ一つのユニークな感覚=クオリアを感じる<私>というものの不思議さにつながっている。<あるもの>が<あるもの>であることにまつわる不安は、<私>が<私>であることの不安へとつながっている。私の心の中で、このようにピカピカ光るもののユニークさはどこから来ているのかという問題は、そのようなものを感じるこの<私>という存在はどこから来たのかという問題に通底しているのである。<あるもの>が<あるもの>であること(同一性)の起源と、<私>が<私>であること(自我)の起源。この二つの問題は、一見現れ方の全く異なる問題であるが、しかし深いところでつながっている問題でもある。そして、これらの問題は、われわれがいかにお互いのユニークな体験を他者との間で共有できるのかという、コミュニケーションの問題にも関連していくのである。


茂木健一郎『意識とはなにか』(2003年)

意識とはなにか (ちくま新書)

意識とはなにか (ちくま新書)