「詞」と「辞」

最近読んだ東浩紀の本で、彼が時枝誠記という言語学者の仕事を紹介しているのですが、
それが非常におもしろかったので、忘れないようにヌキガキ。


時枝の何が面白いのか。彼の仕事で最も重要なものは、これは学校文法に入っていないので一般には知られていないのですが、日本語の構造を「詞」と「辞」の二分法から捉えたことです。「詞」は名詞や形容詞、動詞など、ひとまとまりの意味を表す言葉のことです。対して「辞」というのは、その詞にくっついて、実体的意味ではなく、むしろ詞と詞の関係を表すもの、つまり「てにをは」や一部の助動詞のような言葉を指しています。例えば「走る」とか「椅子」とか「僕」というのは、詞ですね。対して辞というのは、その詞に対する、話し手の主観的感覚を表しているわけです。例えば「椅子がある」と発話したときの「が」という助詞は、「椅子」という物体を、話し手が主語として捉えたことを表現している。同じように「彼が話される」と言うときの「され」は、「彼が話す」という客観的事態を、話し手が敬意をもって捉えたことを表現している。つまり時枝の考えでは、日本語はつねに、客観的事実を表現しつつ、それに対する主観的関係をも内部に繰り込んだような文章構造になっているわけです。そしてこの二重構造は日本語の特徴で、ヨーロッパの言語にはない。実際、英語の主語はただ位置で示されるだけだし、敬語表現はありません。


東浩紀「郵便的不安たち――『存在論的、郵便的』からより遠くへ」(1998年)

そして東は、時枝による「詞」と「辞」の二分法は、
日本的コミュニケーションにおいては「コンスタティブ」と「パフォーマティブ」な側面が
切り離せないことを説明しようとしたものだったんだろうと語るのである。

郵便的不安たち# (朝日文庫)

郵便的不安たち# (朝日文庫)