プロモーションや認知広告の及ぼす効果

半年ほど前に読んだ小説から。


茶道の流派として隆盛を極めている筆頭といったら裏千家ですが、
明治末期から大正にかけての時期、ひどく裏千家は廃れていたとか。


それは、東京遷都で皇族・公家のほとんどが京都を離れてしまったこと、
大きな報酬と引換えに茶道を教えていた弟子の大名たちが、
維新以後、以前同様の道楽を行なえなくなってしまったことなど、
茶道全体に寄せてきた時代の波の他に、裏千家に降ってかかった問題として、
火事や家元の出奔などがあって、弟子が離れていったそうです。


現在、裏千家が茶道における主流になっているのは、
各種学校で茶道が授業にある場合、裏千家流のケースが多いから、
という要因が大きいのですが、そういう起死回生策が生み出されたのが、
この貧窮していた明治末年から大正期にかけての「冬の時代」のこと。


こういった事情は、今年の大河ドラマ篤姫』の原作者でもある
宮尾登美子の『松風の家』に詳しいです。
この小説は、まさに裏千家をモデルとした、利休の流れを引く名門
「後之伴(うしろのばん)」家のサーガで、
彼らがこの「冬の時代」にいかに流派の復興をなしたかを描いた
「イエ」の物語です。


さて、この小説の中でとても気になる一節がありましたのでヌキガキ。
作家の意図はまったくそこにあるわけではないのですが、
「広告」というものの本質に迫っていると感じました。


献茶式とは、神仏の前に茶を捧げる儀式で、呼び方を分けていえば神に献じる茶を献茶、仏に供える茶を供茶と称しているが、いずれも神社仏閣の祭事の日、家元が自ら出向いて神仏の前で点前をし、捧げるもので、それを見物するため、多勢の人が集ってくる。
当日、山門のわき、或いは鳥居の横に、「本日何時より、後之伴家献茶式」の看板が立てられてあるのは一種の威勢でもあり、これを眺めたひとは、
「あ、お後さん、神仏敬うて真面目にやってはる」
という印象を持つこともあれば、
「家元点前はこんな機会やないと、見せて頂けへんさかい」
と多少なりと心得のあるひとは、早くに押しかけてよい席に陣取り、そして、
「献茶式て何どす?」
というひとたちは、このとき、献茶式という言葉と同時に、後之伴家の名を記憶するという按配になる。


宮尾登美子『松風の家』(1989年)

松風の家 上 (文春文庫)

松風の家 上 (文春文庫)

松風の家 下 (文春文庫)

松風の家 下 (文春文庫)