むかし、むかし、あるところに・・・
以前どこかでそんなことを読んだことがあったな、と思いながらどこで読んだのかすっかり忘れていたことを、
家の書棚から抜いてパラパラとめくっていたら見つけたので抜書き。
「ねぇ、昔話って、話してるうちに、なんとなく悲しくなってくることない?」
グラスを口元に寄せた瞳が、その手をふと止めて筒井を見つめる。
「結末が残酷だったりするからか?」
「うーん……、結末だけじゃなくて、なんていうか、話の中で使われている言葉が全部、どこか悲しい感じしない?」
「言葉が全部?」
「そう。言葉が全部」(略)
筒井は窓ガラスに映る自分を見ながら、『昔、昔、あるところに、正直者のおじいさんとおばあさんが仲良く暮らしていました』と、心の中で呟いてみた。言われてみれば、たしかに瞳が言うように、その言葉の一つ一つがどこか悲しい感じがしないでもない。実際、「昔、昔」が悲しいのか、「あるところに」がせつないのか、「正直者のおじいさんとおばあさん」が胸に迫るのか、それとも「仲良く暮らしていました」という言葉が、語る者をこんなにもむなしくさせるのか分からないが、全ての言葉が抽象的で、まるで自分が出来の悪い嘘をついているような感じがしないでもない。
吉田修一「夫婦の悪戯」, 『春、バーニーズで』, pp.91-93.
- 作者: 吉田修一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/11/20
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