Webコミュニティのルールの自主形成

mixiでは日記は書くものの、コミュニティ活動はほとんどしていないのですが、
参加しているコミュニティのひとつで興味深い現象が起きています。


そのコミュニティは「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」(リンク)。


最近、立て続けに不謹慎なトピックが立てられて、いささか騒然としていて、
そんななか「トピック作成の許可制について」というアンケートが行われています。


トピック作成の許可制について
最近メンバーが増えて、賑やかになったことをコミュの創設者としてうれしく思うとともに、荒らしトピックを設置する族も増え、また、それに便乗して管理人を批判する人も増えました。


たまたま外出していたり、寝てたりで、すぐに対処を行えないことも多いですが、それでも10時間以上経過したことは今までありません。それでも、以下のようなメッセージで受信箱が一杯の時もあります。


 「こんな有害な情報を放置するなら管理人をすぐ辞めてください。」
 「帝王切開をした人の辛い気持ちがあなたには分からないのですか?」
 「あなたは仏敵です。」
 「削除依頼がなかなか届かないというような管理はずさんすぎませんか?」
 「あんな書き込みを放置するあなたを心底許せない。」


どうしてたまたま席を外していただけの、無作為の私に対してそこまで深い憎悪の念を抱くようになったのかは疑問です。しかし、いずれにせよミクシィごときでそこまで人を憎む気持ちを育むのは情操的によくありませんので、希望通りのコミュでなくて申し訳ありませんが、すぐうちのコミュを退会されることを推奨します。


ただ、他のコミュのメンバーが、特定の宗教団体や女性全般を侮辱するトピックを見て、嫌な気持ちになっていることは残念です。笑おうとしてうちのコミュに来たのに、笑えるどころか悲しい気持ちになってしまう。


私も別のコミュに参加していますが、トピック作成に許可が必要なところは、トピックを立てる気になりません。どうしてわざわざ話題を提供するのに誰かの許可を待たなければならないのかという気になります。しかし、許可制にすれば、少なくとも極端に差別的な内容は私のところで遮断されますし、わずか数時間でもコミュと管理人を痛みつけたいという荒らしの目的は阻止されます。


しかし、「軽い気持ちで立てるおバカトピック」は立てづらくなるでしょう。私の許可を必要とし、ひょっとしたら私の失笑をかっているかもしれないと想像すると、しょうむないトピックは立てづらくなり、無難なトピックばかり増えるかもしれません。


また、トピック設置で荒らすのは困難でも、コメントで荒らすことは可能です。色々なトピックに荒らしコメントを書くことは防げません。その場合情報の深度は深くはなりますが、威力に違いはありません。


トピック設置を許可制にするか、現状維持にするか。投票して下さい。


ここには、コミュニティの「ルール」の形成される過程が見て取れるようです。
メンバー同士の繋がりも密なコミュニティでは言語化されずとも共有されたルールが、
拡張するにしたがって、それが明文化される必要が出てくるという、
コミュニティの拡大期に発生する問題がリアルタイムに起きています。


「コミュニケーションの未来」を特集とした『InterCommunication』の最終号から。


当然ながら、「メディア・リテラシー」に何を・どの程度〈期待〉するかは、社会状況や制度、情報環境などに応じて異なってくる。それは「ネット・リテラシー」についても同様だ。例えばインターネット黎明期であれば、サイバースペースの住民はコア・ユーザーの集団であり、住民の多くに対して一定のリテラシーを――少なくとも今よりは――〈期待〉することができただろう。自らハードを組み立て、「初心者」を嗤い、ネット・ジャーゴンが飛び交い、「ネチケット」の共有が議題にあがるように、成員を制限していたがゆえに、ゆるやかに「精神」の共有を行うことができた。]


荻上チキ「可能なるネット・リテラシーInterCommunication No.65, p.98.


さて、いまのところのアンケートの途中経過はこんな感じです。

許可制支持が半数近くいるのが意外。
「ルール」が作られようとしている瞬間といった感じです。