「百科事典棒」
村上春樹の作品にあらわれる「空想の産物」。
「百科辞典棒というのはどこかの科学者が考えついた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻みこめるという説のことですな。どうするかわかりますか?」「わかりませんね」
「簡単です。情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置きかえます。ひとつひとつの文字を二桁の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合です。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。そしてそれを並べたいちばん前に小数点を置きます。するととてつもなく長い小数点以下の数字が並びます。0.1732000631……という具合ですな。次にその数字にぴたり相応した楊枝のポイントに刻みめを入れる。つまり、0.50000……に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0.3333……なら前から三分の一のポイントです。意味はおわかりになりますな?」
「わかります」
「そうすればどんな長い情報でも楊枝のひとつのポイントに刻みこめてしまうのです。もちろんこれはあくまで理論上のことであって、現実にはそんなことは無理です。そこまで細かいポイントを刻みこむことは今の技術ではできません。しかし思念というものの性質を理解していただくことはできるでしょう。時間とは楊枝の長さのことです。中に詰められた情報量は楊枝の長さとは関係ありません。それはいくらでも長くできます。永遠に近づけることもできます。循環数字にすれば。それこそ永遠につづきます。終らないのです。わかりますか?」
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)より
「百科事典棒」のスマートな点は、小数点を導入しているところ。
切りがなく長くなりうる数字のあたまに小数点を置いてしまうことで、
すべてを0以上1未満の範囲に包摂してしまっているわけです。
(これは辞書的配列を正しく数値表現したものと言えます。)
- 作者: 村上春樹
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