「広告会社」と「広告代理店」

先日のエントリに引き続き山本直人さんのブログから。


広告代理店、という表現、というかコトバを好まない人がいるらしい。広告会社、と呼ぶべきだと考えているようだ。
僕は「広告代理店」と書くがこれには意味がある。代理店=agencyはagentのいるところである。agentは「できないことを、代わりに実行する」人だ。まさに代理店である。
つまり、プロの中のプロなのだ。だが、あくまでも「代理」である。別の者に代理させた方が良い、ということならたちまち失職する。そういうリスクを背負いながら、プロとして働く。「代理店」という言葉には、そうした誇りと危うさがセットになったようなところがある。
それが、広告代理業の真実だと思う。

しばしば私も考えることのあったテーマでした。
社会人になってから、代理店に勤める人は「代理店」という呼称を嫌がり、
「広告会社」という呼び方を好むのを目にしました。
でも不思議だったのは「代理店」は嫌でも「エージェンシー」なら問題ないという点。
言語が違うだけなんですけれど。


試みに、国会図書館のサイトで「広告会社」というキーワードで雑誌記事検索。
すると、この言葉は1980年以前は10年に一記事ってくらいだったものが、
80年代に広告研究で有名な早大の小林太三郎氏が二度ほど『早稲田商学』で使用、
90年代に入ってからどんどん使われるようになっていったようなことが概観できます。


私自身「広告代理店」というものに「広告会社」という呼び方があると知ったのは、
『2010年の広告会社』などの著書のある植田正也氏が世紀の変わり目頃に
雑誌『宣伝会議』に連載していた「2005年の広告会社」(00年9月〜01年8月号)で。
確かそこでは「コミッションビジネスの広告代理店モデルから、フィービジネスの
広告会社モデルへの脱却」が殊更に語られていたと記憶しています。


 広告代理店=枠売り。コミッションビジネス。
 広告会社=付加価値のあるソリューション。フィービジネス。
 

日本と違ってフィービジネスで行われている海外でも「エージェンシー(代理店)」。
だから「代理店」と「広告会社」とを分けるのは日本の特殊な語法です。


ビジネスのグローバル化の波で口々に上るようになった
「枠販売の『代理店』から、付加価値を生む『広告会社』へ」というスローガンは、
「媒体社の枠販売を代理する」意味がある「代理店」という言葉によって
プライドを傷ついていた「代理店マン」にすぐ馴染んだのではないかと思います。


でも、実際はいまだ日本の広告業はコミッションビジネス。
「代理店マン」は聞こえの良さだけで「広告会社」を志向したけど、
本質論には結局のところ至らなかったということだったのかと思います。


さて、フィービジネスに転換して、上述の日本的な意味で「広告会社」になるのも手。
でも、フィービジネスだろうとコミッションビジネスであろうと、
山本さんの言うように広告主の「できないことを、代わりに実行する」意味であれば
「代理店」ということに変わりはありません。


広告がネットワーク化され、アドプラットフォームが整備されることによって、
既存の在り方での広告代理店の価値は相対的に下がってきます。
だからこそ「できないことを、代わりに実行する」ことのできない「広告会社」には
なってはいけないなあ、と山本さんの記事を読みながら思いました。


via 広告って、なに?