身体と機械の接触

先日、「フィジカル・コンピューティング」という考え方を会社の人に教えてもらいました。

これはニューヨーク大学から始まった教育プログラムらしく、

既存のパーソナル・コンピュータのグラフィカル・ユーザー・インターフェイス(ウインドウ、マウス、アイコンなど)を超えて、私たちの生活環境によりそった身体的なコンピュータのあり方を模索する研究


NTTインターコミュニケーション・センターのWebサイト ICC Onlineより

だそうです。


これを聞いたとき、まず「タンジブル・インターフェイス」のことを思ったのですが、

もうひとつ、以前に読んだ文章のなかに「デジタルの語源は『指』を意味する語」とあったのを

かすかに覚えていて、これは言葉遊びのレベルかも知れないけれど、

デジタルとフィジカルとは決して二項対立的なものではないのかな、と感じました。


学生時代に古本で買った『羅和辞典』(研究社)を繰ってみると、

デジタルの語源「digitus」の項にはこのように書かれています。

digitus, i(註:複数形はdigiti), m(註:男性名詞).

1 指. ¶ extremus 〜 指の先(端).

2 指話法.

3 挙手.

4 指の幅.

5 足指.

この指(digitus)で指差し、数えることが、「デジタル処理」のさまに例えられたようです。


さて、「以前に読んだ文章」って何だったかと自分でも気になり、部屋の書棚を探したところ、

特集「Jポップの詩学 日本語の最前線」を組んだ4年半も前の雑誌『ユリイカ』に掲載された

アメリカ文学者の短い論文でした。これが結構妄想的で。

フィジカル・コンピューティングやタンジブル・インターフェイスについてではないですが、

ヌキガキしておきます。

自他の距離を縮めるEメールは、本質的にエロティック(略)なメディアである。それは、『ユー・ガット・メイル』(98)のようなロマンス映画になりうるし、現実的には出会い系サイトという社会現象につながっている(略)。しかし、メールの最も本質的な官能性は、指の欲望(ディジタル・ディザイアー)と呼ぶべきものではないか。

電子メディアと文学表現の関係をめぐっていくつかの論考を発表している榎本正樹は、最近の携帯による作文の特徴について「メールの言葉は書き言葉でも話し言葉でもない、“打ち言葉”とでもいうべき第三の言語のカテゴリーを前景化している」と述べる。この議論は、携帯メールの物理的な制約がもたらす文体の特徴を問題にしているのだが、ここでは、「打ち言葉」という表現が前景化する身体性・運動性を問題にしてみたい。そもそも「デジタル」という言葉は、そのラテン語の語源から、元々は「指の」という意味に使われる形容詞である。そして、とりわけ、(携帯よりも)キーボードに指をすべらせるとき、我々はある種の身体的快感を覚えている。

(略)

マクルーハンは「メディアはマッサージである」という命題を提示したが、その意味するところについて、大澤真幸は、「電子メディアが触覚的なものだということ」を強調している。つまり、「触覚の領域においては、自己が触れるということが、自己が――なにものかに――触れられるということと、まったく同じこと」なるがゆえに、「自己性と他者性を重合させる」のが「電子メディアの特殊な性能」であるという。大澤はテレビに関してこの議論を行っているのだが、映像メディアによる視聴覚体験以上に、Eメールのコミュニケーションこそは文字通りの触覚体験であることをもっと強調してもよいだろう。「打ち言葉」を操るメールは、指の皮膚感覚を通して、他者をまさぐり、そこに自己を重ねあわせるという、身体的な行為をなぞっているからである。


舌津智之「JポップとEメール」(『ユリイカ 誌と批評』2003年6月号所収)より

長々と引用してしまいましたが、筆者はメールを「打つ」という行為のなかに、

身体的なコミュニケーションを読み取ろうとしているようです。


さて、ついでに同じ論文からおもしろい箇所をもうひとつヌキガキしておきます。

こちらも妄想的で。

ここ(引用者註:雑誌『H』でのインタビュー)で宇多田は、保存=反復の(不)可能性という、Jポップ的エクリチュールの本質に関わる問題を直感している。その直感は、彼女の出世作である「Automatic」(98)のうちに、電子メディアの可能性を探る視線となって表現されている。つまり、「アクセスしてみると映るcomputer screenの中」で「チカチカしてる文字」は、その「チカチカ」という擬態語が示す通り、永久保存できない、不安定な明滅である。それは、先ほどの整理を繰り返すなら、限りなく一回性に近づくエクリチュールであり、保存できそうでできない瞬間の輝きである。だからこそ、そこに「手をあててみると」感じるのは、「so warm」という、ぬくもりの感覚である。これは無論、物理的にはパソコンが電気的に発する熱であるが、宇多田はそこに人肌の温度を感じとろうとしているのだ。


同論文より

おまけで、MITで研究が進むタンジブル・インターフェイスの映像です。