テクストの恣意性

この週末、最近は読むことが少なくなっていた日本史に関する書籍を読んでいました。


駒場で日本の古代文学を研究する神野志隆光先生の『複数の「古代」』は、
古事記』と『日本書紀』との記述の相違からテクストの成立の裏を読み取ります。
過去の現実がどうであったかは別として、それぞれ別の描きたい「古代」を
古事記』と『日本書紀』とは描いているために、相違が生まれているとします。


改めて、ではあるけれど、これは非常にアクチュアルに捉えることが可能です。
全てのテクストは、多かれ少なかれ何らかの意図を持って書かれるわけであり、
どんなに客観的になろうとしようと、完全に自由になることはできない。


だから、全ての書物はその内容の他に、それが書かれた意図を読み取る必要がある。
これはIT関連や、インターネット関連の書籍に関しても言えることです。

複数の「古代」 (講談社現代新書)

複数の「古代」 (講談社現代新書)