『おいしいコーヒーの真実』

かねてから観たいと思って前売券を買っておいた映画に夜行ってきました。
おいしいコーヒーの真実』(2006年、英・米、原題"Black Gold")は、
国際的なコーヒーの消費は高まるなか、原産国でのコーヒー農家の貧困を捉えた作品。
映画の中では、ガイド的役割としてエチオピアのコーヒー農家を代表する農協幹部の
タデッセ・メスケラという男に焦点が当てられています。

(予告編)
(英語版トレイラー)


コーヒー産業が栄えているなか、1989年の国際コーヒー協定の輸出割当制度撤廃以来、
コーヒー豆の原産国からの買入価格は30年前の水準に落ち込んでいる。
そのうえ、産業の成熟にともなって、リスクが商品化され、豆の先物取引が活発化、
生産国の受け取る代金は、遠い国で投機家たちが決める取引価格に左右されている。
そんななか、コーヒー農家の生活を保障するために、
タデッセはNY・ロンドンの市場を通らないフェア・トレードという道を模索している。


彼ら農家の実情は悲惨です。
こんなにコーヒーはブームになっているのに、一方でエチオピアは飢饉に見舞われている。
コーヒーでは生計を立てられず、チャットという麻薬類に切り替える農家もいる。


「市場価格は競争原理によって決まる」というのは、
まったく資本主義の強者の国々だけの論理ということがわかります。
そして、途上国への支援も、現状のシステム維持のためのコストでしかないことも。
彼らは支援よりも、公正な貿易を求めているわけですから。


つらいのは、これがあまりに悲惨な実情であるばかりでなく、
自分もその一端にしっかりと関係しているということです。
問題があることはわかる、でもスターバックスでコーヒーを飲むことはやめられない。


近年のドキュメンタリーブームのなか、テーマが「食」に関わるものが多いのも、
きっと、見る側を揺さぶる力があるテーマだからなのでしょう。
だからといって、見ないわけにはいかない。
自分たちの行動が、どこか遠くの国の人々につながっているからには。


森達也が書いているのもこうした感覚に近いのではないでしょうか。


念を押すけれど、沿岸に打ち上げられた鯨の救出劇をテレビで眺めながらハンバーガーをぱくつく僕らの矛盾や身勝手さを、全否定する気は僕にはない。化粧品や医薬品、洗剤や衣料品など化学物質が含有されるあらゆる商品には、開発するその過程で動物実験が義務づけられている。要するに僕たちの日常は、夥しい数の他の生命を犠牲にしないことには成り立たない。
ただしこの矛盾に、僕はつねに自覚的でありたい。アザラシの命の尊さを声高に叫びながらホタテの命をゴミのように扱ったり、在日外国人に選挙権を与えずにアザラシに住民票を交付することの矛盾に対して、不感症になりたくない。


森達也「タマちゃんを食べる会」(2003年)、『世界が完全に思考停止する前に』所収(2004年、文庫版2006年).


最後に、映画のパンフレットにあった監督のインタビュー発言からヌキガキ。


映画ひとつでグローバルな、あるいはシステム的な問題を変えたり解決したりできるとは思っていない。でも、この映画は人々の考え方に影響を与えることができるし、タデッセがこの映画の中で言っているように、「知ることは変革への最初のステップ」なんだ。それが、映画の持つ力だと僕たちは考えている。


何かできることから始める。その作用を生むのが、まさにドキュメンタリーの力。



おいしいコーヒーの真実』(2006年、英・米、原題"Black Gold")
監督・製作:マーク・フランシス / ニック・フランシス
配給・宣伝:アップリンク

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映画『おいしいコーヒーの真実』