錯視、あるいは人間の適度な不完全性について

下北沢の本多劇場でwat mayhem公演「パンク侍 斬られて候」(町田康原作、山内圭哉演出)を、
恵比寿の写真美術館で「イマジネーション」展を見た後、2週間程前にmixiに書いた日記を転載。
改行してなかったりしますが、気にせずそのまま転載します。

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町田康の『パンク侍、斬られて候』は「制限速度40キロの道を、誰も40キロで走っていない物語」と、ルールや秩序について書いた旨が著者によって解題されているのだけれど、幕切れ直前にろんが掛十之進に投げ掛ける「では逆にお伺いしますがその他のことは分かると仰るの?」という問いにも現れているように、この物語は「認識」の問題を扱っているように私には思える。私たちは何を、どう、認識しているのか。あるいは認識していないのか。認識へ汲むのか、それとも認識から漏れるのか。


ちょうど少し前に思うところがあって、私が過去に書いたり、それをもとに演じてもらったりしたもの、その他に構想メモのままのもの、そしてメモにすらまとまっていないような妄想の断片には何か傾向はあるのだろうかと自己言及的に考えてみたものの、結果として抽出されたのは、やはり認識の問題に関わるものだった。劇中の人物に自己を重ねてしまう若い男も、突如として現れた新興宗教にのめりこんでしまうクィアも、結局のところ「認識」(のズレ)を描くためのものだったのかもしれないと思う。つまるところ、人は自分にとって信じやすいもの、受け入れやすいものを信じてしまうわけで、その人にとっての「現実」はその人が信じたものの重なりのことだ。


そう考えるとよく生きるためには、より良く、そして受け入れやすい物語を探すか、あるいはそうした「物語」より少し広がりの大きい現実を探るか、いずれかなのだけれど、どちらがいいのかはよくわからない。しかし、とにかく認識の範囲なんてものは限られているわけで、むしろだからこそ世の中が回っているということ、が大事なんだと思う。世の中にはわからないけれどわからないままでもいいことに満ち溢れていて、そういうことは見ずに、気にせずに(なかったこと、あるいは暗黙の了解事項として受け入れて)、自分を取り巻く現実を人間は構成しているはずだ。「では逆にお伺いしますがその他のことは分かると仰るの?」。いいえ、分かりません。分からなくてもいいことは、無意識的に選別されている。現実は錯視によって成り立っているのだ。


そんなことを改めて考えていた時に観た写真美術館の展示は、これも同じテーマで読み解けるなあと思った。この「イマジネーション」展は、いかに人間がイマジネーションを視覚化してきたかという営みをまとめた展示だ。"imagination(想像力)"という語がそもそも"image(像; ラテン語のimago)"から派生していることからも分かるとおり、イマジネーションとは「イメージを形成する力」のことだ。よってこの展示は、脳内に形成された像をいかに再現するかという技術の歴史を扱ったもの、と考えてよい。


今回の展示では影絵やカメラ・オブスキュラリュミエール兄弟のシネマトグラフなどがまとめられていたのだけれど、人の脳内に結ばれた像をいかに脳の外に取り出して、見える形にするかということに過去の人びと(と、引き続き現代の人びと)が苦労してきたかがわかる。


そして、このイマジネーションの具象化も錯視の歴史といってよい。上下に平行に並べた棒のいずれが長く見えるか、といったことだけが錯視ではない。映画やテレビを支える技術であったってあれは錯視といえるわけで、仮に30フレーム・パー・セコンドの速度でフィルムのコマが間欠運動をすることでできた映像を見た時に、人間がそれを、30枚の静止画の切り替わりとして認識してしまったとしたら、いまの標準的なイメージを動かす技術は成り立たない。人間の感覚や認識なんてものは適度にあいまいで、適度に不完全だ。


いかにその不完全さを利用するか(そもそもまったき完全なんてものが無理なのであれば)、なのかなという風に思っていたら、ちょうど読んでいた東浩紀北田暁大が始めた論壇誌『思想地図』に寄稿された鈴木健という物理学者で経営者、プログラマという変わった人の論文にも非常にタイムリーにそんなことが書かれていた。彼は「リグレト」を取り上げた箇所で言う。「互いのコンテクストがずれているにもかかわらず、あたかも理解しあえたような感覚を感じるというのが、そもそもコミュニケーションの本質なのである」。


人間の適度な不完全性。なんかこれだけ書いたところで、何が言いたいのかまったくまとまってないことに驚愕ですが、この週末はそんなことをめぐっていろいろと考えていました。(09/01/25)

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wat mayhem「パンク侍 斬られて候」
脚本・演出:山内圭哉
出演:山内圭哉小島聖中山祐一朗宇梶剛士・大谷亮介 他
日程:2009年1月20日(火)〜2月1日(日) ※終演
劇場:本多劇場(下北沢)

イマジネーション 視覚と知覚を超える旅(映像をめぐる冒険 vol.1)
主催:東京都・東京都写真美術館産経新聞
会期:2008年12月20日(土)〜2009年2月15日(日)
会場:東京都写真美術館(恵比寿)
Webサイト:公式サイト

Link:下北沢経済新聞, シブヤ経済新聞

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

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NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション

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