『Across the Universe』

公開終了と思い込んでいたものの、同僚ガールがまだやっていると教えてくれたので、
月曜に観に行った『アクロス・ザ・ユニバース』(公式サイト)。

舞台『ライオンキング』の演出家ジュリー・テイモアによる映画初監督作品で、
ビートルズの楽曲で構成したミュージカル映画


全編にわたってビートルズの楽曲が散りばめられてはいるものの、
かのバンドを扱ったものではなく、彼らの活躍した1960年代の米国を舞台として
「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語として再構成されている。


ビートルズの楽曲は歌われる。でも"The Beatles"は現れない。
ビートルズのいない1960年代の世界を、ビートルズの楽曲で作り上げた映画
と言ってもよいかもしれない。


ストーリーとしても、ミュージカル映画としても非常に素晴らしい作品なので、
それは観ていただくことにして。


本編明けて間もない「All My Loving」、ゴスペルで歌われる「Let It Be」、
ヒロイン・ルーシーの寝姿を描きながら恋人の歌う「Something」、
「All You Need Is Love」のラストのリフレインに重ねられる「She Loves You」、
いずれも泣かせる演出です。


さて、作品の内容から少し離れたことを書きます。


1980年生まれで、もちろんオンタイムではビートルズを体験しておらず、
さらには、数週間の差でジョン・レノンのいる世界に生まれ遅れた私は、
ビートルズの音楽を聴くようになった頃からその断絶を強く感じていたのだけれど、
あらためて、ビートルズの音楽はあの時代にこそ相応しいものだったのだな、
と強く感じました。


もちろんそれはビートルズの音楽に感動できないなんてことでは全くなく、
むしろいまなお愛され続けているのは、その普遍性、超時代性の証左なのだけれど、
その一方で、1960年代という時代的文脈に再配置することによって感じられる
「息づき」のようなものがとても圧倒的だと思ったわけです。


そうしたビートルズの楽曲に宿る「時代性」こそが、
ビートルズのいない1960年代の世界を、ビートルズの楽曲で作り上げた映画」を
可能にしていると言える。


ある世代の日本の音楽批評家たちは「ビートルズの来日公演に行ったか、否か」で
世代分けをされていて、「行けなかった世代」はその上の世代に対して、
「生年によるものだから仕方ない、理不尽な区分けだ」という反論をするわけだけれど、
これはやはり正しい区分けなのかもしれないとも感じられた。
それだけの大きなインパクトを与えたバンドだったのだと考えれば。
ビートルズは正しく1960年代のバンドで、歴史的存在だ。


同様の区分は「ビートルズをオンタイムで体験した世代」と「体験していない世代」にも
あるはずだ。


そう考えたとき、この『アクロス・ザ・ユニバース』というフィクションは、
しかし1960年代という時代をリアルに捉えることのできる映画と言えると思う。


さらに言えば、ビートルズを描かずして、ビートルズの辿った歴史を辿れるかもしれない。
なぜ彼らはその中期においてサイケデリックな方向へと走ったのか。
本作を観ながら、そうしたこともある程度理解がいったような気がした。


登場人物ジュードが口にする言葉は、ビートルズの時代と現代との隔たりを、
そしてその展開点をよく表している。モダンからポストモダンへ。
僕には大義がない。それが問題なんだ


アクロス・ザ・ユニバース(2007年、米国、131分)
監督:ジュリー・テイモア
上映館:アミューズCQN(9月26日まで)
Webサイト:http://across-the-universe.jp/